木曜生まれは旅に出る。

旅どころか布団からあまり出ません。

10年前の今日も無職だった。

 

10年前の今日も無職だった。

 

あの日わたしは仕事の面接を翌日に控えて、だらだらと昼過ぎまで寝ていた。

14時過ぎにむっくり起き出して、ジェラートピケ風の寝間着のまま、チャーハンを作っていたら、玄関のドアがバン!バン!と大きな音を立てたので、風が強いのかな?と思った瞬間に大きく揺れだした。

慌てて火を消して、部屋に戻ると大揺れでテレビが落ちそうになっていた。

これはまずいと思って、家から出た。

 

家から出たあとは、家の前の植え込みのところに腰掛けて携帯でテレビを観ていた。

当時住んでいたコーポは小竹向原駅から徒歩1分の駅前物件で、しばらくしたら駅の出口から続々と人が出てきて、どうみても地元民のわたしを見つけて、いろんな人が声をかけてきた。

「タクシー拾える場所ありますか?」「この辺に飲食店はありますか?」「いま、なにがどうなってるんですか?」

 

わたしもなにがどうなってるのか知りたかった。

できる限りの応答をして、揺れが収まってから家に戻ってしばらくニュースを観てこれはとんでもないことだと思った。

本棚だらけの部屋だったが幸いほとんど物は倒れていなくて、トイレに置いてあったガラスの砂がぶちまけられた程度で済んだ。

 

Twitterで情報収集をした。

板橋に住んでいたフォロワーさんからは、「ひとりで大丈夫?うちに来てもいいよ」と連絡があった。

友だちの安否も分かったし、あのときTwitterがあって本当に良かったと思う。

 

徒歩5分のところに祖母と従姉一家が住む家があった。築40年以上の木造住宅だ。

心配になって様子を見に行ってみると、家の前の緑道に祖母と叔母と従弟がいた。

家の1階にはたくさんの本棚があったが、それが倒れていて大惨事だったし、余震が何度か来ていたから、家に戻るのはまだ早いと思った。

祖母と叔母は家に入りたがったので、バイト先に顔を出すという従弟から、二人を家に入れないように言付かって、しばらく三人で外にいた。

 

それから従姉の家の二階リビングでずっとニュースを観ていた。

仕事に行っていた叔父と従弟が帰ってきて、従姉と叔母の妹からは仕事先から徒歩で帰ると連絡があって、叔母は天ぷらを揚げていた(つよい)。

 

夜、元カレから電話があって、家に帰れそうにないから泊めてほしいと言ってきた。

元カレは職場のあった銀座から歩いて家まで来た。

二人で今日は服着たまま寝ようと話して、枕元に靴を置いて、ずっとテレビはつけっぱなしで、余震も怖くて、ほとんど眠れなかったことを覚えている。

 

わたしの3.11はこんな感じだったということだけ記しておく。